広城 (ひろじょう)
最寄地 和歌山県有田郡広川町名島257 2018.10.21
広城 (ひろじょう)
最寄地 和歌山県有田郡広川町名島257 2018.10.21
登城ルート
西郭・蜜柑畑
フエンス(奥の山が東郭)
東郭西部分
屈折した空堀
東郭東部分・土塁
東郭東の大堀切
広城 西郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 湯浅町と広川町の境目にある標高135.7mの高城山に西郭、東側の標高約140mの山頂に東郭が配置されている(地図)。
蜜柑畑のフエンス扉を探してフエンスを抜ける必要があるが、東郭に屈折した空堀や土塁が残っている。また倒木で一部崩れているが、深い堀切がよく残っていた。
【案内】 国道42号線が広川に差し掛かる手前を左折、約600m行った表記番地向かいから[マップコード146 367 257*22]、 東へ果樹園(無線塔)用の林道が高城山頂まで設けられている。
道は非常に狭く急で普通車は無理で、林道始点小屋の南に道路脇に停めて徒歩が良い。
登り詰めると、無線鉄塔があり、西側山頂部の西郭は防風林で囲われた果樹園で遺構は少ないと思われる。
鉄塔からモノレールに沿って東に行き、20mほど先から北側のフエンス扉を探しフエンスの裏側に出る。フエンス北を東に行き、突き当りから直登する。
広い平坦地があり、東の上段に屈折した空堀で東西二郭に分かれた郭があり、西側が高く、東側が低くなり、東下段の北から東にかけて土塁が残っている。さらに東尾根に深い堀切が2条残っている。
【歴史】 応永六年(1399年)応永の乱で功のあった畠山基国は室町幕府より紀伊国守護職に任ぜられ、大野城(海南市)へ入った。 その後、広城を築いて移り大野城は次男・満慶(満則)に守らせたという。
大永年間(1521~28年)頃、畠山尚順が城主の時、亀山城主湯川氏と平須賀城主野辺氏との連合軍により攻められ、落城した。