妻鹿城 (めがじょう) (国府山城・功山城)
最寄地 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿394−13 2019.10.25
妻鹿城 (めがじょう) (国府山城・功山城)
最寄地 兵庫県姫路市飾磨区妻鹿394−13 2019.10.25
登城ルート
登り口
岩肌
主郭
北郭
磐座(いわくら)跡
妻鹿城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 播磨灘に注ぐ市川左岸の河口近くの標高98mの甲山に築かれている。
独立丘陵のため堀切は見られないが、南西から北東にかけて4つの主要郭があり面積は広い。北郭の先に井戸跡が見られる。
【案内】 県道517号線に面した「市川工業用水道管理所」(表記番地)向いに「荒神社」があり、県道横の登り口に駐車できる[マップコード24 158 230*81]。
岩肌の斜面を通って登ると、経塚があり、その先の鉄塔横からから遊歩道がある。
【歴史】 赤松則村(円心)の家臣・妻鹿孫三郎長宗は元弘の乱(1331~33年)で戦功を立て、妻鹿地方を与えられ国府山城を築城したといわれている。
その後、黒田官兵衛孝高の父職隆は、永禄十年(1567年)頃に家督を孝高(官兵衛)に譲り、姫路城から国府山城に移り居城とした。
また、天正八年(1580年)三木城主別所長治を滅ぼした羽柴秀吉は三木城を居城としたが、官兵衛は三木城が戦略的に不備であることを進言し、自らの居城である姫路城を秀吉に譲り、国府山城に移った。
天正十三年(1585年)職隆が没した後は、廃城となったと云われる。