竹崎城 (たけざきじょう) (町の史跡)
最寄地 佐賀県藤津郡太良町大浦甲32 2014.9.4 2020.3.11
竹崎城 (たけざきじょう) (町の史跡)
最寄地 佐賀県藤津郡太良町大浦甲32 2014.9.4 2020.3.11
石垣・城跡標柱・説明板
説明板
土塁の石垣
空堀
竹崎城址展望台
展望台より有明海
竹崎城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 国道207号線「田古里」交差点より東に県道295号線を2.6㎞行き、左折すると間もなく石垣の一部が見られ、そこに城跡標柱・由来説明板が建てられている[マップコード325 432 270*71](地図)。
土塁を南にフエンスに沿って行くと空堀があり、上部に石垣が残っている。
東に100mほど行くと竹崎城址展望台があり、有明海の絶景が望める。櫓風の展望台のある場所は、竹崎観世音寺の「拝み堂」の跡と伝えられている。
昭和五十年(1975年)2月4日、太良町の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代(1378年頃)足利尊氏の反逆に対して、南朝の懐良(かねなが)親王に味方して島原の有馬泰隆が築城し、足利方の今川了俊の大軍を退けたと云われている。
この地区は戦国時代、島原有馬氏と龍造寺氏の勢力の境で遭った為、攻防が繰り返された。
戦国時代末、龍造寺家晴によって修築され、その後龍造寺家(諫早家)の出城として、重要な役割を果たした。
島原の乱(1637~38年)の後、取り壊された。