勝尾嶽城 (かつおだけじょう) (白狐山城・遠見獄城)
最寄地 長崎県平戸市鏡川町307 2019.12.13
勝尾嶽城 (かつおだけじょう) (白狐山城・遠見獄城)
最寄地 長崎県平戸市鏡川町307 2019.12.13
登城ルート
正宗寺
松浦隆信(宗陽)の墓
中段
主郭
勝尾嶽城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高20m】
【感想】 平戸城と平戸港を挟んだ西約700mの山頂に築かれている。北麓の正宗寺に、松浦隆信(宗陽)の墓がある。
山頂の主郭は20m四方ほどの広さで、石塔が建てられている。登る人も無いらしく、雑草が伸び放置されているようだった。
【案内】 正宗寺(表記番地)[マップコード89 696 817*64]に松浦隆信(宗陽)の墓があり、その左よりフエンス外側を歩くと、扉のある墓地がある。
そこより右斜めに登ってゆくと城跡がある。
【歴史】 延徳三年(1491年)、田平里城主・峯昌と弟・勝尾嶽城主平戸松浦正(のち弘定)との間に合戦が起きた(平戸田平合戦)。
この時、有馬貴純の援軍を受けた峯昌方は、平戸の松浦正の勝尾嶽城を攻め、次に箕坪城に逃げた松浦正軍を攻撃したと伝えられている。松浦正は海路大内政弘を頼って筑前に逃れた。
翌明応元年(1492年)大内政弘の援護を受け平戸に復帰し、松浦弘定と改名した。
慶長四年(1599年)松浦鎮信は日之嶽に築城を開始し(のち平戸城)、移った為廃城となった。