徳能城 (とくのじょう) (常石山城)
最寄地 愛媛県西条市丹原町徳能649 2017.12.15
徳能城 (とくのじょう) (常石山城)
最寄地 愛媛県西条市丹原町徳能649 2017.12.15
登城ルート
標識
北側虎口
徳能通綱忠魂碑
東側下段
徳能城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高80m】
【感想】 徳能集落の北西に突き出た常石山山頂にある。切岸がある程度で遺構は少ない。秋山好古の揮毫による「徳能道綱忠魂碑」の大きな石碑が建てられている。
【案内】 県道150号線より細い道を東へ600mほど行った表記番地の先に「常石山直進」の看板がありその先の墓地手前に1台駐車できる[119 275 127*13](地図)。
250mほど行くと「徳能公忠魂碑/シロノッサンは直進」の標柱があり、左の山通じる舗装された道を登ると「徳能道綱忠魂碑」が建てられている。
【歴史】 徳能集落の北西方常石山上にあった中世の城で、河野氏の流れをひく得能氏の居城であった。「伊予国桑村郡得能村地誌」には「東西24間南北16間、山の絶頂にあり…」とある。
南北朝時代に、南朝方の忠臣として、新田義貞に従い、得能通綱が土居通増(久米郡石井郷土居)らとともに各地に転戦したが、延元2年(1337年)、越前金ヶ崎の戦いで一族と自刃して果てた。
昭和3年、昭和天皇御大典記念事業として、常石山山頂に通綱の忠魂碑が建立された。碑表の揮毫(きごう)は陸軍大将・秋山好古によるものである。また、徳田小学校校庭の西端には、得能、土居両氏の供養塔も建っている。『今どきの西条(西条市観光物産協会)』より引用。