蔦ヶ嶽城 (つたがたけじょう) (赤間山城・岳山城)
最寄地 福岡県宗像市赤間文教町1 2019.5.9
蔦ヶ嶽城 (つたがたけじょう) (赤間山城・岳山城)
最寄地 福岡県宗像市赤間文教町1 2019.5.9
登城ルート(緑線は車道)
登り口
段郭
西の郭
本丸切岸
2の丸(石垣)
本丸
蔦ヶ嶽城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高270m】
【感想】 宗像市と岡垣町の境に位置する標高369.2mの城山に築かれている。
山頂の約50×20mの本丸の南東に2段になった細長い2の丸、西に広い郭ほか6段の郭が並んでいる。
2の丸の石垣は昭和14年に建てられた青少年修養道場「城山閣」の石垣である。
堀切などはほとんど見られないが、切り立った切岸で防御された城で、ハイキング客も多く見られ頂上からの眺望は素晴らしい。
【案内】 県道75号線「赤間」交差点北に約250m行き右折、細い道を通ってゆくと、福岡教育大学(表記番地)北側の登り口駐車場がある[マップコード68 521 307*63](地図)。
湧水横から1kmの遊歩道が本丸まで設けられている。600m程登ると、三郎丸登山口からの遊歩道と合流し、その東に6段ほどの郭があり、本丸西の広い郭に着く。
その先に本丸切岸の南を通って、虎口から南東に2の丸がある。
2の丸の北西上段に本丸があり、細長い平坦地に三角点や音叉形の記念帆、燈籠、説明板などが建てられている。
【歴史】 11世紀代に6代・宗像大宮司宗像妙忠が築城したと伝わる。
建武三年(1336年)、足利尊氏が、多々良浜の戦いの際に入城した。
応安三年(1370年)荒廃していた蔦ヶ嶽城を54代宗像大宮司・宗像氏俊が修築し、入城した。
永禄三年(1560年)79代宗像大宮司・宗像氏貞が大改修。名を岳山城とし、白山城より移り居城とした。
永禄十二年(1569年)、大友氏の家臣の立花氏による侵略を受けたが、撃退した。
天正十四年(1586年)三月四日、岳山(蔦ヶ嶽)城で氏貞が42年の生涯に幕を閉じ、宗像家は断絶した。
天正十六年(1588年)に九州征伐の帰途に立ち寄った豊臣秀吉の命により廃城となった。この時に櫓や石垣を破却したとされる占部貞保の記録が残っている。