諏訪山城 (すわやまじょう)
最寄地 山口県下関市豊田町大字楢原226 2018.5.7
諏訪山城 (すわやまじょう)
最寄地 山口県下関市豊田町大字楢原226 2018.5.7
登城ルート(緑線は車道)
入口(左へ)
2段の東郭
東上段の郭(郭の標識)
西の郭
諏訪山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高60m】
【感想】 長正司城の北東約400mに位置する標高102mの山頂に築かれている。東西の山頂に夫々築かれ、2段の郭から成っている。「郭」と記された標識が3ヶ所ほど建てられている。
【案内】 県道34号線より表記番地に向かい、東側の道路の先に入口がある[268 445 845*72](地図)。
無住民家の先を直角に右折すると城跡に片側の谷を西へ行き、尾根に出る。そこに堀切があり、南に登ってゆくと東の郭が2段になって残っている。
西に下ると堀切状の尾根があり、登ると西の郭があり「田中境界石」が置かれている。南側に帯郭を伴っている。
【歴史】 戦国時代、諏訪山城主として右田(朝倉)弘詮(ひろあき)の名がある。支城の矢田城の城主も一時兼ねていた。
弘詮は文人でもあり、吉川本『吾妻鏡』(岩国市吉川家所蔵)は弘詮の手になるもので、その奥書に「大永二年九月五日 安房前司弘詮㊞」の署名がある。豊田町教育委員会発行『目で見るふるさと豊田の歴史と文化』130pより。