七条城 (しちじょうじょう)
最寄地 徳島県板野郡上板町七條参隰8 2017.9.21
七条城 (しちじょうじょう)
最寄地 徳島県板野郡上板町七條参隰8 2017.9.21
宮川内谷川の堤防道路
城址碑
堤防
井戸?
七条城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆】
【感想】 河道が変わり、宮川内谷川の川底となっているという。
城址碑の前に井戸があるが、改修した物だろうか。因みにその横の邸宅は七條家であり、後裔であろうか?
南側の堤防付近も歩いてみたが、民家が建てこみ犬に吠えられる始末で、遺構など見つけられなかった。
【案内】 県道14号線より宮川内谷川の上板橋を渡った右の堤防下に城址碑が建てられている[マップコード56 394219*53]。
【歴史】 板西城と共に勝瑞城の西の守りを固める支城であった。天正十年 (1582年)、長宗我部元親の侵攻による中富川の戦いで、城主・七条兼仲が戦死し、勝瑞城と共に落城した。
現在、城の主要部分は、宮川内谷川の川底となっているとみられる。堤防の南側に古い石垣と井戸が残っており、地元の伝承では古城の遺跡だとされている。
かつては、城跡から数十m南方に七条兼仲を祭る若宮神社があったが、大正元年(1912年)松島神社に合祀された。
神社取り壊しの際に、「兼仲祖父 七条孫大夫隼人介 永正十六年(1519年)卒…」と書かれた墓石が発掘された。
昭和四十九年(1974年)、上板町指定文化財に指定され、北岸堤防外側に城跡を示す碑が建てられた。