牛尾城 (うしおじょう) (三笠山城) (尼子十旗)
最寄地 島根県雲南市大東町南村424 2018.5.10
牛尾城 (うしおじょう) (三笠山城) (尼子十旗)
最寄地 島根県雲南市大東町南村424 2018.5.10
登城ルート(緑線は車道)
登り口と標識
鉄塔
石垣
西の郭
本丸南東側(奥が高い)
牛尾城 本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高180m】
【感想】 雲南市大東町の標高302.2mの三笠山頂上に築かれており、別名を三笠山城という。
本丸は折れのある高さ1mほどの段差があり、西の広い上面に三角点や本丸の標柱が建てられている。本丸周囲は切岸で、石垣は見られなかった。西の郭の下になる7合目に石垣が見られた。
【案内】 県道53号線より「海潮(うしお)神社」(表記番地)横を通って北西に約400m行くと橋がありその先に「三笠城跡」の標識が建てられ、駐車スペースがある[マップコード826 273 686*43](地図)。
そこより谷を登り、右側の尾根に出、北に行くと鉄塔に着く。そこを真っ直ぐ進み、尾根が右側に直角に曲がる手前に石垣が見られる(標高240m地点)。
その先を右に曲がると広い西の郭がある。細い尾根道を上り岩場を登り詰めると本丸に着く。
【歴史】 応仁の乱(1467~77年)後、京極氏に従った牛尾氏により築城された。
天文十一年(1542年)、大内氏が出雲に侵攻すると、牛尾幸清は月山富田城の守備に当った。
永禄六年(1563年)、毛利氏が月山富田城に迫ると、幸清・久信父子は富田城に入った。
永禄九年(1566年)、城内の兵糧が底を突き、開城し、義久は捕らえられ、安芸国へ送致された。幸清・久信父子も毛利氏に降った。
永禄十二年(1569年)、山中幸盛が率いる尼子残党勢に牛尾幸信が合流し、牛尾城に拠った。
元亀元年(1570年)、布部山の戦いで尼子勢は惨敗を喫し、牛尾城も毛利輝元に攻められ落城した。