笠島城 (かさじまじょう) (東山城) (県の史跡)
最寄地 香川県丸亀市本島町432 2020.2.4
笠島城 (かさじまじょう) (東山城) (県の史跡)
最寄地 香川県丸亀市本島町432 2020.2.4
登城ルート
東小路・登り口
南側堀切
主郭・土塁
北側堀切
北側の古墳・石塔
説明板
笠島城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 塩飽諸島の一つ本島東端にある標高50mの山頂に築かれている。
主郭は40m四方ほどで草木が多いが、西側に土塁が見られ南北両端に堀切がよく残っていた。
北側に竪穴式の古墳があり、そこから西に下ると東小路(とうしょうじ)と呼ばれる狭い当時の道があり、両側に古い建物が並んでいる。
【案内】 本島汽船(株)の フエリーが丸亀港から本島(ほんじま)間に運行されている。
丸亀港の駐車場は狭く混んでいる場合、国道193号線を挟んだ市営有料駐車場が利用できる[マップコード77 740 848*52]。国道を潜って待合所へ行ける。
本島汽船待合所内にレンタサイクル(500円)があり、自転車で塩飽勤番所前を通って笠島城へ向かう。
専称寺は高階氏館で塩飽勤番所の年寄・吉田彦右衛門の墓がある(表記番地)(地図)。その少し手前右側階段に東山城入口の標識が建てられている。
そこより墓地左を進み登ってゆくと、深い堀切が見られる。その北が主郭で南北に細長く、西側に土塁が見られる。
北側にも堀切があり、草木の多い郭を経て北に、古墳(頭(こうべ)さん)に石塔が祀られ、城跡説明板が建てられている(地図)。
昭和六十二年(1987年)10月30日、香川県の史跡に指定された。
【歴史】 中世以前の塩飽は、近衛家の荘園で、建永二年(1207年)三月法然上人がこの地に流されたとき、地頭駿河権守高階保遠の館に上人を迎えた。
天正の頃には、天霧城主香川氏の甥福田又十郎が塩飽を領して、居城を築いた。その後、土佐の長宗我部氏との戦いに敗れ落城した。
近世の塩飽には単独の領主はなく、650人の人名(にんみょう)の共有地(自治領)となり4人の年寄が合議によって統治をおこなった。