大河城 (おおかわじょう)
最寄地 長崎県雲仙市瑞穂町伊福甲322−2 2019.12.10
大河城 (おおかわじょう)
最寄地 長崎県雲仙市瑞穂町伊福甲322−2 2019.12.10
外れた説明板
墓地(左奥より入る)
帯郭・石垣(右が主郭)
上段の石垣
主郭
大河城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 有明海に近い雲仙市瑞穂町伊福甲の南北に伸びた丘陵に築かれている。
墓地の北に隣接して南北に細長い主郭があり、西側に2段の帯郭が見られ、石垣が残っている。藪化しており北から東側は諦めた
【案内】 大川公民館(表記番地)方面に向かいその約100m手前を左折して行くと、説明板があるが看板が外れていた(地図)。
そこから登ってゆくと、墓地があり駐車できる[マップコード325 073 619*68]。
北へ行き墓地外れから、分け入ると城跡で3段になった郭があり、夫々石垣が残っている。
【歴史】 平安時代末期、文治元年(1185年)からの土豪・大河氏の居城であった。
大河氏は肥前綾部の出で、大河・伊福・伊古を領有していた。
築城は、その子孫の地頭であった孫三郎幸継で1300年頃とされ、各地に小さな支城が造られた。
しかし、嘉暦三年(1328)年頃には鎮西探題の命を受けて壊され、暦応元年(1338年)には幸継も討死している。