土居構 (どいがまえ) (県の史跡)
所在地 愛媛県西条市中野甲1743 2018.3.5
土居構 (どいがまえ) (県の史跡)
所在地 愛媛県西条市中野甲1743 2018.3.5
帯状の郭の石垣
入口
石碑・説明板
説明板
家屋
土居構跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【感想】 高峠城の北東麓に位置し、北から東にかけて石垣がよく残っている。東側は一段下がって帯状の郭があり、川に面する石垣も当時の物と思われる。家屋も屋根は改造されているが、柱組などは江戸時代初期のものだそうだ。
【案内】 国道11号線「中野」交差点より細い道を東に約700m行った表記番地の民家敷地となっている。道路は狭いので手前に駐車して徒歩が良い[マップコード119 232 291*74](地図)。
東に川が流れ石垣が北から東側によく残っている。入口横に「土居構跡」の石碑、壁に説明板が掲示されている。
昭和二十三年(1948年)10月28日、愛媛県の史跡に指定された。
【歴史】 今から600年前の室町時代初頭、新居宇摩2郡を支配した河野通直が築造したと伝えられる。高外木(高峠)城主の平時の居館であった。
天正三年(1575年)石川氏がこれに拠ったが、天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で高峠城が攻められ、その兵乱で建物は焼失した。
寛永十九年(1642年)久門政武が中野村庄屋として入居し、子孫継承し今日に至る。家屋はその後改造を重ねながらも猶旧態を保っている。『西条市教育委員会説明板』より。