周参見城 (すさみじょう)
所在地 和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見4280 2022.5.3
周参見城 (すさみじょう)
所在地 和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見4280 2022.5.3
登城ルート(緑線は車道)
登り口(右上の扉)
南西の郭・巣郭虎口
主郭・秋葉大権現
東側の腰郭
東側尾根の浅い堀切
主郭より漁港方面
周参見城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高65m】
【感想】 周参見漁港方面に向けて東から伸びた標高約70mの尾根先端部に築かれている。主郭には秋葉大権現が祀られ、北側に土塁が残っている。
南西と東下段に平坦地があり、東尾根には浅い堀切が見られた。
主郭の鳥居からは周参見漁港などの絶景が見られた。住職の話では、尾根続きの標高274m地点に藤原城があり、周参見城はその出城とのことだった。
【案内】 紀勢本線「周参見駅」の東側にある萬福寺(表記番地)に駐車できる[マップコード457 164 295*45]。
本堂裏から主郭にある秋葉神社へ続く急な参道がある。但し、城跡は萬福寺の私有地で登り口の扉は施錠されており、お寺に一声かけて解錠してもらい、見学する必要がある。
【歴史】 藤原秀郷の後裔を称し、応永八年(1401年)に周参見庄に土着した周参見氏が藤原城を築いたといわれる。
安宅頼藤の弟が周参見氏の養子になったとも伝わり、また安宅氏の娘を娶るなど安宅氏と姻戚関係を結んでいた。
永禄五年(1562年)三好長慶 と 畠山高政 との合戦(教興寺の戦い)において、周参見主馬太夫氏長は安宅光定、堀内氏虎と共に畠山方に与したが三好氏に敗れた。
永禄十二年(1569年)織田信長に敗れ阿波に逃れていた宇都宮道直が氏長を頼って周参見に移り、神田城を築いたといわれる。
天正十三年(1585年)羽柴秀吉の紀州征伐の際、周参見氏長は降伏し1700石の所領を安堵された。その後は秀吉の水軍衆として文禄・慶長の役などに従軍した。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いでは、西軍に属した氏長は戦後捕らえられ、京で入牢の身となり、慶長七年(1602年)に没した。
その後、弟の周参見安親は大阪の陣で豊臣秀頼に要請され大阪城に入り戦い、生き残って周参見に戻り帰農したという。