小倉城 (おぐらじょう)
最寄地 滋賀県東近江市小倉町2005 2019.7.6
小倉城 (おぐらじょう)
最寄地 滋賀県東近江市小倉町2005 2019.7.6
登城ルート
城阯碑
堀跡の道路(左本丸・右2の丸)
物見櫓切岸
物見櫓西側横堀
2の丸の宝篋印塔
2の丸東の空堀
小倉城 本丸跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高10m】
【感想】 東近江市小倉町の愛知川右岸の段丘上に築かれた崖端城となっている。
東西に細長く、東端に空堀が残り、2の丸、堀跡の道路、本丸が配置されている。本丸の崖側にL字形の空堀、櫓台が見られる。
小倉氏一族の宝篋印塔が3ヶ所に集められ、祀られている。
【案内】 県道217号線「小倉バス停」南の公共施設に駐車させてもらった[マップコード566 603 538*06](地図)。
正面の道を北へ200m程行くと、褪せた案内板が建てられ、左へ少し行くと「小倉源氏発祥地」「小倉城阯」の石碑が建てられている。
堀跡の道路を北に行くと、宝篋印塔のある墓地があり、その南側が本丸で杉林の中に櫓台の切岸、空堀がL字形に残っている。
道路(堀跡)を挟み東側が2の丸(屋敷跡)で、中央付近に宝篋印塔が多数祀られている。東の民家の更に東に空堀が南北に残っている。
【歴史】 小倉氏は清和源氏の流れを汲む小倉景実が、愛知郡小椋庄に承暦年間(1077~81年)、小倉城を築いたと伝えられている。
以来、小倉氏は小倉城を拠点として、愛知・神崎・蒲生三郡の東部に勢力を伸ばしていった。
後に、小倉宗家は南の佐久良城、小倉西家は東にある山上城を本拠とし、分家である小倉東家が小倉城を居城とした。
永禄年間(1558~70年)に至って、小倉氏一族の間に内乱が起こり、小倉良秀が敗れ城は焼亡し、同族は各地に散逸した。