船岡山城 (ふなおかやまじょう) (船崗山城・山名城) (国の史跡)
最寄地 京都府京都市北区紫野北舟岡町42 2017.5.3
船岡山城 (ふなおかやまじょう) (船崗山城・山名城) (国の史跡)
最寄地 京都府京都市北区紫野北舟岡町42 2017.5.3
応仁永正戦跡の碑
空堀
横堀・土塁
船岡山頂上
建勲神社
船岡山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高30m】
【感想】 船岡山公園として整備され、南東に建勲神社が建てられている。遺構としては北側中腹にある横堀や土塁くらいであり、「応仁永正戦跡 船岡山」の石碑が建てられている。
【案内】 北大路通り「今宮門前」交差点より南に行った付近に駐車スペースがある[マップコード7 734 403*23](地図)。周辺は有料駐車場がほとんどない。
昭和四十三年(1968年)2月15日、「船岡山」の名称で国の史跡に指定された。
【歴史】 船岡山城は、応仁元年(1467年)に始まる応仁の乱の西軍の大内政弘(周防・長門・豊前・筑前国守護)・備前国守護の山名教之(のりゆき)らが拠点として船岡山に築城した。
山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山城で立て籠ったが、翌年九月、東軍の細川勝元によって攻められ落城した。
永正八年(1511年)に細川澄元・細川政賢と室町幕府の政権を奪い返すため丹波から入京した大内義興・足利義尹(よしただ)・細川高国の間で有名な船岡山合戦が行われた。細川澄元・細川政賢勢は戦いに破れて逃亡した。
その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となった。