今帰仁城 (なきじんじょう/ぐすく) (北山城) (ほくざんじょう) (世界文化遺産・国の史跡・日本100名城98)
所在地 沖縄県今帰仁村今泊5110 2013.6.6
今帰仁城 (なきじんじょう/ぐすく) (北山城) (ほくざんじょう) (世界文化遺産・国の史跡・日本100名城98)
所在地 沖縄県今帰仁村今泊5110 2013.6.6
外郭 ・中の郭城壁
中の郭入口(平郎門)
中の郭城壁
主郭建物礎石・遥拝所
主郭
城壁
志慶真門郭
今帰仁城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 国道505号より南に県道115号線を1㎞ほど行くと「今帰仁村歴史文化センター」(表記番地)に駐車場が用意されている[マップコード553 081 527*18](地図)。有料(大人400円・小中高生300円)で見学できる。
その東に夫々城壁に囲まれた三つの郭がある。南北350m、東西800m、面積37,000㎡。県内最大級の城(グスク)として名高い。
西側に高さ2m前後の蛇行した石垣で囲まれた外郭があり、南に自然石露頭が見事なカーサフがある。城壁に開いた中の郭入口(平郎門)があり、昭和37年に復元された。
中の郭は南北約170m、東西約185mの三角形で、大隅(兵馬調練)・御内原・大庭・主郭があり建物跡、遥拝所などが残っている。
南東斜面に志慶真門郭があり、建物跡が4ヶ所平面復元されている。城内からは中国や東南アジアなどの陶磁器が多く出土し、往時の繁栄をうかがわせる。また城内には志慶真乙樽歌碑や山北今帰仁城監守来歴碑記などの碑もある。
志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑は「今帰仁の城 しもなりの九年母 志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい」と刻まれている。
昭和四十七年(1972年)国の史跡に指定された。平成十二年(2000年)11月に首里城跡など共に、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された(登録名称は今帰仁城跡)。
平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(98番)に選定された。平成二十二年(2010年)2月22日に国の史跡地域が追加され、史跡名称が「今帰仁城跡 附シイナ城跡」へ改められた。
シイナ城跡は、今帰仁城跡から南東6kmにあり、北山王が最初の拠点として築城したが水の便が悪いため今帰仁城に移ったという伝承がある。
【歴史】 北山城は、十三世紀頃湧川按司によって築城されたと言われている。
北山王や第一尚氏などが城主として居城したが、1416年(応永二十三年・明朝永楽十四年)(1422年(応永二十九年・明朝永楽二十年)説もある)に尚巴志に滅ぼされるが、北山が滅ぼされた後も旧北山統治の要所として引き続き使用され、琉球王朝より尚忠が北山監守として派遣された。
1609年(慶長十四年)の薩摩藩による琉球侵攻の際には、その攻撃の第一目標となった。門から城の中心部へと向かう階段(戦後に造られたもの)の左右にはカンヒザクラの並木があり、毎年1月末 ~2月初めに開花する。