日田城 (ひたじょう) (大蔵城・鷹城・高城)
最寄地 大分県日田市城町2‐5 2014.5.13
日田城 (ひたじょう) (大蔵城・鷹城・高城)
最寄地 大分県日田市城町2‐5 2014.5.13
登城ルート
永興寺石段
主郭2
塩谷正義公碑
主郭1・仏像
堀切
日田城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高40m】
【案内・感想】 永興寺(表記番地)の石段を登ると本堂があり、一帯は慈眼山公園となっている[マップコード202 878 251*28]。公園入口付近が広く路駐した。
本堂横を北東に行くと主郭2に位置づけられる郭跡(字・高城)があり南北30m、東西10ほどの郭で西側に土塁が盛られている。
更に北東に行くと穴に仏像の置かれた台地があり、その先に主郭1に位置づけられる郭跡(字・古城)があり、南北30m、東西70mほどあり、東側以外を土塁で囲み南に内枡形の虎口を開く。比高約40mの主郭1跡には仏像が置かれ、堀切、土塁がある。
【発掘調査】 慈眼山遺跡発掘調査では慈眼山麓の上城内町において、十五世紀後半から十六世紀中ごろまでに形成された屋敷跡と推定される建物跡遺構が出土し、この建物群の廃絶は十六世紀後半の可能性が指摘されている。
廃城後は、館跡、城跡ともに宅地化と農耕地化が進み、改変が見られる。現在、大部分は山林となっている。
【歴史】 古代・中世から近世初頭にかけての大蔵氏流日田氏および大友氏流日田氏の山城および居館であった。
仁寿二年(852年)に鬼蔵大夫永弘が創建したと伝えられ、山上に段状の曲輪を構え、花見川に面した絶壁に守られ、南麓に居館を構える典型的な山城であった。
また日田城の西端には、大蔵永季が父・永興を供養するために建立した慈眼山永興寺(じげんざんようこうじ)がある。日田城の廃城時期や経緯は不明である。
拝殿裏に文化十三年(1816年)日田代官となり、翌年着任し、十九年にわたって善政に任じた郡代塩谷大四郎正義公の石碑が建てられている。