菟田の高城 (うだのたかぎ)
最寄地 奈良県宇陀市菟田野佐倉641 2016.9.4
菟田の高城 (うだのたかぎ)
最寄地 奈良県宇陀市菟田野佐倉641 2016.9.4
登城ルート
駐車先の標識(50m先の山道を左へ)
頂上
主郭にある説明板・石碑
東側より石碑を見る
菟田の高城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道166号線の佐倉峠の北600mに大きな看板が建てられている。そこより200mほど西へ行き右折すると、表記番地西に駐車スペースがある[マップコード266 072 863*80](地図)。
その約50m 先を左に登ってゆく、尾根を右に登ると高城がある。「神武天皇御東征菟田高城」の石碑、説明板が建てられている。
石碑は明治三十二年(1899年)に治外法権撤廃の改正条約の実施を記念し建てられた。
【歴史】 『古事記』や『日本書紀』には、神武天皇即位前の宇陀での出来事がいくつも記されている。
八咫烏の道案内で吉野から宇陀へやってきた神武天皇ら一行は菟田下県の豪族エウカシとオトウカシ(『古事記』では兄宇迦斯、弟宇迦斯『日本書紀』では兄猾、弟猾)に服従を迫った。
オトウカシはすぐに従い、エウカシは反抗し結局敗れた。神武天皇に味方したオトウカシは、天皇に仕えるしるしとして、一行に御馳走を振る舞い大宴会が催された。この宴席で神武天皇は「久米歌」を歌われた。
その際、軍の休息に築かれた陣地と云われる。『宇陀市観光協会』