今治城 (いまばりじょう) (吹揚城) (県の史跡)(日本100名城79)
所在地 愛媛県今治市通町3-1-3 2011.5.11 2014.5.15
今治城 (いまばりじょう) (吹揚城) (県の史跡)(日本100名城79)
所在地 愛媛県今治市通町3-1-3 2011.5.11 2014.5.15
土橋・鉄御門
北西側内堀・山里櫓・天守
高麗門・山里櫓・天守
藤堂高虎騎馬像
再建天守
今治城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 日本三大水城(高松・今治・中津城)の一つで、午前9時~午後5時まで有料公開(一般:500円 学生:250円)されている。
巾約50mの内堀の北に有料駐車場があり[マップコード119 811 221*80](地図)、土橋の南に桝形虎口があり、表門(鉄門)・武具櫓がある。
内堀は一周が残り石垣も良く保存されている。門を入ると主郭跡は吹揚公園になっており、山里櫓(平成2年復元)、鉄御門(平成19年復元)がある。中央の広場に「藤堂高虎像」が建てられている。
又、五重六階再建天守が建てられている(昭和55年・RC造)。天守最上階からは、しまなみ海道の来島海峡大橋や、瀬戸内海の島々を眺望することができる。
南には「吹揚神社」、「猿田彦神社」、「鹿香神社」がそれぞれ建てられている。
昭和28年(1953年)年10月9日主郭と内堀が愛媛県の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(79番)に選定された。
【歴史】 慶長七年(1602年)、伊予半国領主として20万石を領した藤堂高虎によって築城開始され慶長九年(1604年)に完成した。
今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山にあった国府城だったが、より能率的な都市経営を目指すため築城された。
構造は、三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時、海から堀へ船で直接入ることができ、海上交通の要衝今治らしく海を最大限に活用した城となっている。二之丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、外堀以内に侍屋敷、城門が九ヶ所、櫓が二十ヶ所と非常に広大な造りだった。
慶長十三年(1608年)、高虎が伊勢国津城に移封となり、同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わる。高虎は移封されたが、今治領は飛び地として残り養子の藤堂高吉が居城した。
寛永十二年(1635年)、高吉は伊賀国名張に移り、代わって伊勢国長島城より松平(久松)定房が3万石で入城した。
寛文五年(1665年)定房が江戸留守居役(江戸城代)となり、関東に1万石の加増(以後、4万石)を賜った。
以後、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となった。広大な城郭は江戸260年間保たれた。
明治二年(1869年)版籍奉還により松平定法が今治藩知事になった。明治四年(1871年)廃藩置県により今治藩が廃された。
明治六年(1873年)の廃城令により建物は破却された。