佐世城 (させじょう) (金剛山城)
最寄地 島根県雲南市大東町下佐世108−1 2018.5.10
佐世城 (させじょう) (金剛山城)
最寄地 島根県雲南市大東町下佐世108−1 2018.5.10
登城ルート
入口
侍屋敷跡
物見櫓跡
主郭
金剛山佐世城址の碑
佐世城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【感想】 雲南市大東町下佐世の城山にあり、ゲートボール場の西側の竹林の中に空堀が残っている。侍屋敷跡、物見櫓跡や井戸跡の標識が建てられているが、公園風になりあまりはっきりしない。
【案内】 県道24号線より北に約150m行った表記番地手前に「金剛山佐世城址入口」の看板が建てられている[マップコード134 233 616*13](地図)。駐車スペースは少ない。
少し登るとゲートボール場があり、南に侍屋敷がある。中段に物見櫓跡があり、その上に広い主郭がある。西側に「金剛山佐世城址」碑や説明板、佐世家系譜が建てられている。
【歴史】 正中三年(1326年)湯頼清の5男清信が築城し、佐世氏を名乗り初代となった。
8代佐世伊豆守清宗は尼子御家老衆のうち、宇山飛弾守に次ぐ重臣で備後内12万石を領していた。
永禄八年(1565年)、月山富田城の戦いの際に清宗は月山富田城での守備に就き、佐世城の留守は清宗の子・佐世元嘉が守備していた。 父清宗が富田在陣中に毛利氏に攻められたが、元嘉は毛利方と適切な対応をして、流血する事無く処理したという。
尼子氏滅亡後、清宗は毛利氏に従い、防州山口に移住し、軍功により文禄三年(1594年)再び佐世城主となった。
清宗の子・9代正勝には嗣子がなく、慶長六年(1601年)死去すると、甥・元量が佐世城主となった。