佐伯城 (さいきじょう) (鶴ヶ城・鶴屋城)
所在地 大分県佐伯市大手町1‐1‐1 2013.10.12
佐伯城 (さいきじょう) (鶴ヶ城・鶴屋城)
所在地 大分県佐伯市大手町1‐1‐1 2013.10.12
登城ルート
三の丸櫓門
西の丸の虎口石垣
西の丸・虎口
二の丸
本丸石垣
天守台
佐伯城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高140m】
【案内・感想】 国道217号線「大手前」交差点を西に100m余行った「佐伯文化会館」(表記番地)前に、三の丸櫓正門が保存されている(地図)。その前に駐車場が用意されている[マップコード186 137 431*41]。
標高144m比高約140mの城山頂上に、南北に北の丸、本丸、二の丸、西の丸の四曲輪が並んでいる。
三の丸跡は佐伯文化会館敷地となり、その右より登城口は3通りあるが、東に折れてゆく道が良く整備されている。
中央の山道は、かなり急であったが二の丸の石橋に出る。本丸の石垣は良く保存され、祠があり、国木田独歩の碑が建てられている。本丸、二の丸からは番匠川に沿う佐伯の町並や佐伯湾が見下ろせる。下りは東の道を下りて来た。
【歴史】 慶長六年(1601年)、豊後国日田郡日隈城より佐伯氏の居城であった栂牟礼城(佐伯市弥生大字上小倉)へ2万石で毛利高政が入封し、翌年から六年の歳月をかけて、八幡山(城山)に築かれた。
元和三年(1617年)、二の丸より失火して、本丸と天守を焼失し、以後天守は上げられなかった。
寛永十四年(1637年)三代毛利高尚のとき、麓に三の丸を増築し、三の丸に居館が移されて以降は、城の中心施設として利用された。
山上の本丸・二の丸などは、焼失および居館の移設によって放置され荒廃が著しかったため、宝永六年(1709年)に六代高慶によって天守以外の建物が復興、修復されている。
明治四年(1871年)七月に、佐伯県庁が置かれ佐伯城は廃城とされた。三の丸以外の建物はすべて払い下げ、撤去された。土地は旧藩主である毛利家に譲渡されている。
昭和四十五年(1970年)、三の丸御殿の一部を解体、民間の建物として移築され、翌年、跡地に市立佐伯文化会館が建てられている。