鹿島城 (かしまじょう) (加島城)
所在地 愛媛県松山市北条辻 2018.3.6
鹿島城 (かしまじょう) (加島城)
所在地 愛媛県松山市北条辻 2018.3.6
登城ルート
鹿島遠景
鹿島神社
2郭
2郭東側石垣
主郭・展望台
主郭北東側石垣
鹿島城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 北条港の西約300mの瀬戸内海に浮かぶ標高114.1mの鹿島頂上に主郭、北東下段に2郭が築かれている。主郭北と東、2郭東にそれぞれ石垣が残っている。
島全体が観光地となり、鹿が飼育されている。また、釣り客も多く訪れていた。
【案内】 県道179号線「北条駅前交差点」より西に行った突き当りに「鹿島渡船待合所」駐車場がある[マップコード53 797 500*75](地図)。
4~10月は20分間隔、11~3月は30分間隔で渡船が運行されている(利用料金は駐車場込みで往復500円、所要時間3分)。釣客やキャンプ場利用者が多い。
鹿島には鹿島神社が祀られ、句碑も多数見られた。渡船場から真っ直ぐ進むと登り口があり、中腹に2郭があり東側に高さ2m長さ16mほどの石垣がよく残っている。
南西に登ると、放送塔、展望台の建てられた主郭があり、北西側と北東側の放送塔下に石垣が残っている。
【歴史】 中世、伊予国守護河野氏一族の海城として利用された。天正六年(1578年)から天正八年(1580年)頃に来島通総の兄得居通幸が鹿島城主となった。
来島通総は天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐の先鋒水軍として活躍した功により鹿島城主となった。
慶長二年(1597年)来島通総は慶長の役で討死し、家督は次男の長親が継いだ。
慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いで長親は西軍に加わったため、豊後国森藩角牟礼城に転封され、廃城となった。