片岡城 (かたおかじょう)
最寄地 奈良県北葛城郡上牧町下牧2-12-2 2016.9.3
片岡城 (かたおかじょう)
最寄地 奈良県北葛城郡上牧町下牧2-12-2 2016.9.3
説明板
登城ルート(緑線は車道)
大堀切
主郭跡南側
腰郭・主郭
主郭
片岡城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【案内・感想】 葛下川を望む瓔珞山の先端を利用した標高90.2mの主郭を中心とした山城である。
県道14号線「上牧大橋南詰」交差点より西に行く。途中から住宅の間の幅2m弱の細い曲がりくねった坂道となり、対向車が来たらどうしようと、はらはらしながら登って行くと、右側に駐車スぺ―スを見つけ駐車できた[マップコード36 850 701*71]。
その先の表記番地向いに説明板が建てられている。説明板の西に細い道があり、北の畑にかけて低地があり、これが大堀切という事らしい。
地権者に無断で立ち入りできないと記された標識が、数か所立てられている。どこに断ればいいのか分からず、右に登ってゆくと腰郭があり、その上に主郭がある。あいにく草ぼうぼうで踏み込めなかった。南の郭も同様であった(堀切があるらしい)。
【歴史】 片岡氏は送迎山城(香芝市)を居城としていたが、16世紀初頭、片岡国春がこの地に築城し、移り住んだ。
永禄十二年(1569年)四月八日、8千石を領する片岡春利の時、河内を中心に勢力を保っていた松永久秀の軍勢の攻撃を受けた。松永勢の攻撃は9日間に及び遂に十六日に落城した。
それ以後、信貴山城を本城とする松永久秀の支城となった。
天正五年(1577年)松永久秀は主君織田信長に謀反を起こし信貴山城に立て籠もった。
信長の家臣明智光秀・筒井順慶ら諸将が出陣し信貴山城の支城である片岡城を攻めた。天正五年(1577年)十月一日片岡城は落城し、廃城となった。『上牧町教育委員会』