頴娃城 (えいじょう) (獅子城・野首城) (県の史跡)
最寄地 鹿児島県南九州市頴娃町郡9202 2015.5.8
頴娃城 (えいじょう) (獅子城・野首城) (県の史跡)
最寄地 鹿児島県南九州市頴娃町郡9202 2015.5.8
登城ルート(緑線は車道)
北側の入口道標
縄張り図
本丸碑・獅子城趾石碑
本丸櫓台跡
櫓台から見た本丸・土塁
本丸2郭間空堀
2郭・高土塁
3郭
頴娃城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★☆】
【案内・感想】 頴娃小学校(表記番地)東のT字路より県道236号線を東に1.3㎞行った右手に「頴娃城跡入口」の標識が立てられている(地図)。
そこより大きく右折し1.2㎞ほど南東に行くと舗装が終り、約800m砂利道を直進すると「頴娃城跡本丸跡」下に着く[マップコード285 183 636*36](駐車スペース有り)。
城跡は道がクランクした道路の両側に10郭から南の本丸まで、東西220m南北約330mの広さを有し、それぞれの郭は空堀で区画されている。
殊に道路東の南端にある本丸は東西約38m南北約70mの長円形で、中央を石垣で南北2段に区分され、南が1m程高くなり、一周に亘って土塁が良好に残っている。最南端が一番高く、櫓台となっている。中央に「頴娃城跡(本丸跡)」碑と「獅子城趾」石碑が建てられている。
虎口は南北に2ヶ所あり、南にも大きな空堀が残っている。本丸の北に空堀で隔てられた2郭跡があり本丸側に土塁が残る(地図)。
本丸と道路を挟んだ西に小ぶりな3郭がある。道路の西に4~10郭まで並んでいる。
平成十七年(2005年)4月19日鹿児島県の史跡に指定された。
【歴史】 別名獅子城または野首城とも云われ、応永二十七年(1420年)頴娃兼政によって築かれた。
頴娃氏を滅ぼした島津久豊が大隅の国衆肝付氏に配慮して肝付兼元の次男兼政に、当地を与え、兼政は頴娃氏を名乗った。
以後8代・170年にわたって頴娃を治めていた伴姓頴娃氏の居城跡と伝えられている。
十五世紀初め、この城を訪れたポルトガル商人ジョルジュ・アルバレスによって日本で初めてヨーロッパに紹介された城とされる。