相方城 (さがたじょう) (佐賀田城)
最寄地 広島県福山市新市町大字相方1089 2017.5.13
相方城 (さがたじょう) (佐賀田城)
最寄地 広島県福山市新市町大字相方1089 2017.5.13
登城ルート(緑線は車道)
250m先の標識
郭2
虎口・郭2南石垣
城址碑
主郭・放送塔
郭4の石垣
相方城 主郭跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高70m】
【感想】 芦田川右岸の標高190.7mの城山頂上にあり、南側に石垣がよく残っている。
主郭にはテレビ送信塔が建てられ、福山市北部に位置する相方町の市街地が眼下に望める。
【案内】 県道158号線の芦田川を渡った「佐賀田大橋南詰」の南の交差点を右折して約2㎞行くと「新市地区工業団地」の北西角に着く。そこより斜めに250ほど行くと、標識があり左に城山へ細い道がある[マップコード48 767 251*28]。普通車は徒歩が良いかもしれない。
途中はすれ違い困難だが、約600m登ると2台分の駐車スペースがある[マップコード48 766 328*23]。郭10と呼ばれる場所で、城址碑・説明板が建てられている。
西に郭9、東に堀切がありその先に郭3、郭2、主郭と並び三角点横にテレビ送信塔がある。さらに郭4、郭5と続いている。それぞれの郭の南側に石垣が残っている。
【歴史】 16世紀前半、亀寿山城を本拠として備後南部に勢力を持っていた国人領主の宮氏や、相方城より南の地域を本領としていた宮氏一族の有地(ありち)氏などにより中世山城として整備されていた。
天文二十一年(1552年)宮氏が滅んだ後は、有地氏一族が出雲国や備後国北部に給地替えされるまで、相方城を拠点に当地を支配していた。
その後は、毛利氏の直轄領となり、東方への備えとして近世城郭として整備された。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、毛利氏の防長移封に伴い、廃城となった。