和歌山城 (わかやまじょう) (虎伏城・竹垣城) (国の史跡・日本100名城62)
所在地 和歌山県和歌山市一番丁 2013.9.5
和歌山城 (わかやまじょう) (虎伏城・竹垣城) (国の史跡・日本100名城62)
所在地 和歌山県和歌山市一番丁 2013.9.5
一の橋・大手門
岡口門
追廻門
表坂
一の門跡
復元天守・多聞櫓
二の門櫓
和歌山城 本丸跡(地図)
【遺構★★★★★】
【案内・感想】 国道42号線「県庁前」交差点より東に県道138号線(三年坂通り)を200m行き左折して不明門跡から入った駐車場がある [マップコード35 185 719*10] (地図)。
大手門のある北東隅の東堀・北堀及び石垣は「一の門」と共に素晴らしい。二の丸、西の丸、砂の丸、南の丸そして中央に本丸が高石垣上にある。
朱塗りの追廻門も特徴的である。南東角の岡口門は国の重要文化財に指定されている。岡中門跡を通り広い表坂を登る「七福の庭」を西に行き石段を登ると東に給水場、西に天守曲輪がある。虎伏山の頂上に位置する。
鉄筋コンクリート造で復元された三重大天守・二重小天守・二重櫓・門が外壁の築地塀で接続され、壮麗な景観を呈している。大天守内には徳川家ゆかりの品が多数展示され、有料(大人410円 小人200円)で観覧できる。
昭和六年(1931年)3月30日、国の史跡に指定された。平成十八年(2006年)4月6日、日本100名城(62番)に選定された。西の丸庭園は国の名勝に指定されている。
【歴史】 天正十二年(1584年)羽柴秀吉が紀州を平定し、異父弟の秀長に命じて虎伏山に築城した。
慶長五年(1600年)関ヶ原の戦いの後、浅野幸長が城主となり、城普請を継続した。
元和五年(1619年)徳川家康の十男・頼宣が55万5千石の藩主として入国し、城郭の大改修を行った。連立式天守を持つ和歌山城は御三家の紀州徳川家の居城として明治維新まで続いた。
弘化三年(1846年)7月26日に雷雨があり、天守曲輪に落雷。御殿を除く大小天守など本丸の主要建造物が全焼した。当時の武家諸法度では天守再建は禁止されていたが、御三家という家格により特別に再建が許可され、嘉永三年(1850年)に大小天守等が再建された。、
版籍奉還後、明治四年の廃城令により廃城となり、多くの建造物が解体もしくは移築されたが、天守は残された。
昭和十年(1935年)には、天守など11棟が国宝保存法に基づく国宝に指定された。
しかし、昭和二十年(1945年)7月9日のアメリカ軍機による大規模な爆撃(和歌山大空襲)により天守などの指定建造物11棟すべてを焼失した。
昭和三十三年(1958年)に天守群が東京工大名誉教授・藤岡通夫の指導を受け、鉄筋コンクリートにより再建された。
昭和五十八年(1983年)には老朽化し崩壊した大手門と一之橋が復元された。