富来城 (とみくじょう)
最寄地 大分県国東市国東町富来浦1363-1 2019.5.4
富来城 (とみくじょう)
最寄地 大分県国東市国東町富来浦1363-1 2019.5.4
城址井戸
本丸跡・城山子供公園碑
城山子供公園
南東の石垣
富来城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 国東市国東町富来浦の住宅地の中にあって、本丸跡は「城山子供公園」となっている。
道路を隔てた場所に城址井戸が残っており、本丸の南東に石垣を見ることが出来る。
【案内】 国道213号線信号交差点より西に行った、表記番地の南向いの城山子供公園が本丸跡である[マップコード265 655 787*21]。東側に井戸が残っている。
南東側に石垣が残り、西側に空堀跡がある。
【歴史】 富来氏により弘長元年(1261年)築城された。その後、富来氏は大友氏に対して従っていたが、文禄二年(1593年)豊臣秀吉により大友義統が改易され没落すると、20代富来統長は流浪することとなった。
その後、文禄三年(1594年)垣見(筧)氏2万石の居城となったが、慶長五年(1600年)黒田如水の軍により攻撃され、激戦の末、開城した(宮本武蔵は黒田軍として参戦し、足を負傷している)。
元和元年(1615年)一国一城令により廃城となった。