宇留津城 (うるつじょう)
所在地 福岡県築上郡築上町宇留津514 2015.5.14
宇留津城 (うるつじょう)
所在地 福岡県築上郡築上町宇留津514 2015.5.14
宇留津城之碑・須佐神社
説明板
須佐神社
須佐神社南側
【遺構★☆☆☆☆】
【案内・感想】 県道236号線より東に行った、宇留津公民館(表記番地)角に「宇留津城之碑」の石碑、説明板が建てられている[マップコード820 007 303*30] (地図)。
須佐神社敷地などになり、遺構は消滅している。
【歴史】 天正十四年(1586年)豊富秀吉は九州統一のため薩摩の島津氏攻めを開始した。
先遣隊の黒田官兵衛孝高(よしたか)は、毛利、吉川、小早川の中国勢と共に小倉城の高橋鑑種を攻略、さらに軍勢2万8千人で2千人が立て籠る加来与次郎の宇留津城を攻めた。
黒田勢は母里太兵衛が先陣を務めたが大きな濠に阻まれた。しかし一匹の白い犬が濠の浅瀬を渡っているのを見て、そこから一気にせめて落城した。妻子とも四百人余りを浜で磔にしたと伝えられる。
須佐神社から宝積寺一帯が城跡で周辺の濠跡の塩田沼も昭和五十年頃より埋立てられ、住宅地となった。『築上町教育委員会説明板』より。