藤尾城 (ふじおじょう) (市の史跡)
所在地 香川県高松市香西本町465 2017.12.11
藤尾城 (ふじおじょう) (市の史跡)
所在地 香川県高松市香西本町465 2017.12.11
宇佐八幡宮
宇佐八幡宮階段・城跡標柱・説明板
説明板
宇佐八幡宮
八幡宮氏子会館
藤尾城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【感想】 宇佐八幡宮本殿が建つ最高所が本丸跡で、西に一段下がった「八幡宮氏子会館」の敷地が2の丸跡とされている。
【案内】 「宇佐八幡宮」(表記番地)境内となり、南側の県道177号線左に参詣用駐車場がある[マップコード391 659 089*48]。鳥居左に城跡標柱と説明板が建てられている。
高松市の史跡になっている。
【歴史】 嘉禄年間(1225~27年)初代香西資村(すけむら)は勝賀城を詰城、佐料城を居館としてきた。
しかし、18代佳清(よしきよ)の時、土佐の長宗我部元親の讃岐侵攻に備えて、北に海の砦・芝山城、南に作山城があり、その中央の宇佐八幡宮の鎮座する藤尾山に天正三年(1575年)に築城を開始し、天正五年(1577年)に完成を待たずに佐料城から藤尾城に移ったと伝えられる。
天正十年(1582年)八月の長宗我部元親の攻撃で「西光寺表の戦い」「天神郭の戦い」等の激戦があり、香西軍は惜敗し西讃岐の香川信景の仲介で和睦した。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉による四国攻めで、長宗我部元親は敗れ香西氏の藤尾城も廃城となった。
慶長七年(1602年)城跡には再び宇佐八幡宮が遷座された。