日本山城 (ひもとやまじょう) (市の史跡)
最寄地 長崎県松浦市鷹島町原免350 2019.12.14
日本山城 (ひもとやまじょう) (市の史跡)
最寄地 長崎県松浦市鷹島町原免350 2019.12.14
登城ルート
説明板
電柱手前の下り口
主郭北側・階段
北側石積
主郭
日本山城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高50m(尾根より)】
【感想】 鷹島南側の標高75.6mの日本山(ひもとやま)に築かれている。
山頂は広く、周囲は急な斜面で、頂上手前に石積が見られ、頂上に三角点があり、手書きの標識が括られている。
途中の経路は、藪もなく視界が効き割と歩き易かった。
文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の二度にわたる元寇の指揮所となった宮地嶽山頂に「宮地嶽史跡公園」がある(地図)。
【案内】 鷹島南側の表記番地南の道路の少し西側に説明板が建てられている[マップコード458 615 236*21]。T字路向かいから入り、草地の西側縁辺を100m程行くと、電柱の手前に下る所がある(地図)。
少し下ると2段の石垣がありその中央付近を下ると土塁道があり尾根に出る。
尾根を更に進むと、ピークがあり、再度下って左側の尾根を登り(甕が転がっている)その上に木道が見えロープが張られており、そこを登ると頂上に着く。
平成二十一年(2009年)9月30日、松浦市の史跡に指定された。
【歴史】 663年の白村江(はくすきのえ)の海戦で唐・新羅連合軍に敗れた倭国は、国防の最前線となる対馬・壱岐・筑紫に防人と烽(とぶひ)を配備した。
日本山も烽火を上げた場所ではないかと云われている。
1274年と81年の元寇の時、14代松浦答(ことふ)が奮戦した地として伝えられている。