松原城 (まつばらじょう) (道場城・蒲公英城)
所在地 兵庫県神戸市北区道場町日下部 2019.4.14
松原城 (まつばらじょう) (道場城・蒲公英城)
所在地 兵庫県神戸市北区道場町日下部 2019.4.14
登城ルート
説明板
南東遠景
西の丸切岸・五輪塔
西の丸土塁から見た空堀・本丸
本丸
北側帯郭・空堀
松原城本丸跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高20m】
【感想】 長尾川とその支流八多川に挟まれた比高20m程の小山に築かれている。
訪れた時は、樹木は伐採され丸裸状態で、全体の様子がよく把握できた。三田城の九鬼氏の家臣の子孫という若い方が来ておられ、同行して登ってみた。
本丸は西側に土塁があり、井戸が残っている。東側下段に東の丸があり、家屋の基礎部分が散見され、民家が建っていたと思われる。
二の丸は発掘調査中でブルーシートが掛けられていた。西側斜面に五輪塔があり、石積も見られた。
【案内】 神戸電鉄三田線「神鉄道場駅」東に駐車出来、山裾に説明板が建てられている[マップコード155 102 585*62]。
その東の小山が城跡で西の丸、本丸、一段下がって東の丸と並んでいる。
【歴史】 南北朝時代、播磨国の守護赤松則村(円心)の4男氏範は、三田城主の時、有馬郡一帯に城砦群を築き、その一つが道場城と云われる。
氏範は父円心が北朝方だったにも関わらず、南朝方として戦ったが、永徳三年(1386年)播磨清水寺で北朝方に敗れ息子氏春とともに自刃した。
応仁元年(1467)に起った応仁の乱で赤松政則にしたがって功績をあげた松原越前守貞基(満祐の弟・祐之の子)が道場城を貰い受けた。
別名をたんぽぽ城と云い、たんぽぽは「つづみ草」とも呼ばれ、城主の娘が鼓の名手であったことによる。
城主松原氏は三木城主別所氏に味方した為、織田信長の家臣羽柴秀吉軍に攻められ、天正七年(1579年)落城した。