塩見城 (しおみじょう)
最寄地 宮崎県日向市塩見2393 2016.5.15
塩見城 (しおみじょう)
最寄地 宮崎県日向市塩見2393 2016.5.15
登城ルート
登り口
城山公園碑
2郭跡
主郭跡・慰霊碑
五輪塔群
塩見城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高30m】
【案内・感想】 国道327号線より北に入りすぐ左に登ってゆく。日向市営「城山墓苑」の先の水月寺(表記番地)に駐車できる[マップコード136 283 546*54]。
西に180m行き、説明板が建てられた先を右に登ってゆくと、「城山公園」の石碑が建てられた2郭跡があり、その先に一段高く主郭跡がある。
虎口付近の土塁が残り、東西30m南北60mの細長い曲輪に「教育勅語四十周年記念」石碑、耳川の戦いの「慰霊碑」が建てられ、五輪塔群がある。
【歴史】 塩見城は南北朝時代に土持氏が築いたと伝えられ、日知屋城、門川城と共に「日向三城」と呼ばれた。
その後、都於郡伊東氏の支配下に入り、綾民部左衛門義恒が居城した。又伊東一族の右松四郎左衛門が入城した。
天正五年(1577年)に伊東氏が豊後へ敗走すると島津氏の持城となり、一門の吉利忠澄が城主となった。『日向市教育委員会説明板』より。