山崎城 (やまさきじょう)
所在地 鳥取県鳥取市国府町山崎 2018.8.12
山崎城 (やまさきじょう)
所在地 鳥取県鳥取市国府町山崎 2018.8.12
登城ルート(緑線は車道)
登り口・説明板
北の郭・山崎城跡の看板
土橋・竪堀
主郭・城址碑
主郭・四阿
山崎城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高50m(林道から)】
【感想】 鳥取市国府町山崎の標高241mの山頂に築かれている。東に上地川、西に袋川が流れる要害となっており、堀切とそれに続く竪堀で防御した2つの主要郭がよく残っている。
【案内】 県道154号線より殿ダムに向かう手前のカーブ付近に「山崎城址まで465m←登り口」の看板と説明板が建てられている[マップコード125 416 187*71](地図)。
途中までコンクリート舗装され、まっすぐ登ると堀切と竪堀がある。そこを登ると北の細長い郭に出、西側に向けて「山崎城址」の大きな看板が建てられている。その先に土橋があり左側にいつの物か分からないが石垣と、竪堀がある。
帯郭を登ってゆくと城址碑が建てられ、細長い主郭がある。
【歴史】 室町時代頃に因幡毛利氏が築城したと言われ、一族の山崎毛利氏が居城した。毛利氏は、元暦年間(1184~85年)頃、因幡守であった大江広元の子孫で12代続いた家柄だと云われている。
天文年間(1532~55年)毛利中将が城主の時、城の立地する大萱(おおかや)郷が但馬と通じる要所であることに目をつけた、本家市場城(私部城)の毛利豊元に攻撃され落城した(山崎城の戦い)。山崎毛利氏滅亡後は私部本家のものとなった。