大河平城 (おこびらじょう)
最寄地 宮崎県えびの市大河平2522-1 2018.12.11
大河平城 (おこびらじょう)
最寄地 宮崎県えびの市大河平2522-1 2018.12.11
登城ルート(緑線は車道)
大河平神社の鳥居跡
切岸・虎口
主曲輪
大河平神社
北西の小山
大河平城跡(地図)
【遺構★★★☆☆】
【感想】 えびの市大河平の標高387mの山頂とその南の丘陵に築かれている。
鉄塔の南に切岸、虎口のある郭があり、郭は段差が付いている。
鉄塔の北西の小山は、自然地形に近い。
【案内】 えびの市大河平の表記番地向かいに「大河平神社」の鳥居跡があり、そこから北に参道が続いている[マップコード227 814 021*73](地図) 。
400mほど歩いた神社手前の左側に切岸のある2段になった曲輪があり、北西側に鉄塔が建っている。城跡と思われる。
戻って神社左を西に行き下ると、鉄塔より北西に100mにある小山に曲輪が残る。
【歴史】 大友氏に敗れ肥後国八代より真幸院の領主・北原氏を頼ってきた菊池氏庶流の八代隆屋が大河平城を築き、大河平(おこびら)氏を名乗った。
北原氏が伊東氏により家督と領地を簒奪され衰退すると、大河平氏は薩摩国の島津義弘に誼を通じた。
永禄五年(1562年)大河平城は伊東勢450余に急襲された。家督を継いでいた隆屋の孫・大河平隆利はこれを防ぎ、更に城より打って出て伊東勢を追い返した。
しかし、大河平城は堅城では無い事から、島津義弘の命により大河平城の南西側にある険阻な丘陵へ新たに城を築くよう命じられ、そうして完成した今城が、大河平氏の本城となった。