白山城 (はくさんじょう) (山田白山城)
最寄地 福岡県宗像市山田700 2019.5.10
白山城 (はくさんじょう) (山田白山城)
最寄地 福岡県宗像市山田700 2019.5.10
登城ルート(緑線は車道)
池の先の登り口
堀切
本丸
二の丸
本丸西の郭
菊姫廟
白山城跡(地図)
【遺構★★★★☆ 比高270m】
【感想】 宗像市山田の弘大寺山から南に伸びる標高319mの尾根頂上に築かれている。
本丸の北東に2の丸があり、西側に2段の郭とその下に畝状竪堀が残っている。また南東には4段の郭があり大手道に竪堀や堀切などよく残っている。
【案内】 県道75号線「山田」交差点の約200m北より、右折「山田地蔵尊増福禅院」(表記番地)を目指す。手前に登山者駐車場が用意されている[マップコード68 578 396*40](地図)。
増福禅院の本堂左裏に「菊姫廟」があり、駐車場より南に行った所に山田夫人の碑がある(地図)
駐車場の北に大きな登山道入り口の標柱が建てられ向かいの公民館右から入る。
西に行き、溜池の先の右に登り口がある。約800mの遊歩道が整備され、3段目の郭から東に回ると「山の井」と呼ばれる水穴がある。途中には保存会による竜胆が植えられている。
【歴史】 鎌倉時代初頭の文治二年(1186年)36代宗像大宮司・宗像氏国により築城され、その後380年に渡って歴代宗像氏の居城であった。
延元元年(1336年)二月には、戦いに敗れて九州へ逃げて来た足利尊氏を受け入れた。
同年三月、宗像大宮司家は尊氏主従に軍備を整えさせて援護し、香椎の多々良浜で菊池軍を奇跡的に破り、勢力を盛り返した尊氏が室町幕府を開く端緒となった。
天文二十年(1551年)九月、黒川鍋寿丸(のちの宗像氏貞)が白山城に入った。
宗像大宮司78代正氏の主君大内義隆が陶晴賢に討たれた時、正氏の正室菊姫は宗像にあり、側室の子・鍋寿丸を立てんとする者達に翌年三月二十三日の夜、山田の里において母君他4人の侍女と共に斬殺された。
天文二十三年(1554年)三月、宗像氏の御家騒動が起こり、城下の山田の御殿で大惨劇となった。
弘治四年(1557年)黒川鍋寿丸は元服し宗像氏貞を名乗った。
永禄三年(1560年)79代宗像氏貞は、蔦ヶ岳城を再築し本城とした。