鬼ノ城 (きのじょう) (神籠石式山城)(国の史跡・日本100名城69)
最寄地 岡山県総社市黒尾1101 2013.10.7
鬼ノ城 (きのじょう) (神籠石式山城)(国の史跡・日本100名城69)
最寄地 岡山県総社市黒尾1101 2013.10.7
登城ルート
西門と敷石
西門城壁
北門石垣
屏風折れの石垣
礎石建物跡
鬼ノ城西門(地図)
【遺構★★★★☆ 比高40m】
【案内・感想】 県道271号から北西に行き砂川公園先の分岐路(鬼ノ城案内標識あり)を右に約3㎞北上すると「総社市鬼城山ビジターセンター」(表記番地)の駐車場に着く[マップコード275 181 671*03]。途中「経山城跡」の登山口碑がある。
駐車場から東に徒歩400m比高40mほど登ると、「西門」に至る。見張り台を兼ねた二階建ての櫓「西門」が柱跡などを基に復元され、周辺には敷石、城壁、石垣が復元されている。
標高397mの鬼城山の北に「北門跡」の石垣が残り、東に行くと土塁そして「屏風折れの石垣」(温羅遺跡)の碑が立つ曲輪があり崖面に石垣がある。そこから総社市の田園風景や岡山自動車道が眺望できる。
【構造】 鬼城山の山頂周囲を石垣・土塁による城壁が周囲2.8キロメートルにわたり取り囲み、面積は30haほどに及んでいる。城壁の要所に、門、城外への排水機能を持つ水門を配する。門は東西南北四ヶ所、水門は六か所が確認されているが、北門石垣(地図)がよく残っている。また城壁石垣「風折れ石垣」(地図)が残る。城の内部には食料貯蔵庫や管理棟などと推定される礎石建物が七棟、狼煙場の可能性が指摘される焚き火跡、水汲み場、火事場、工事のための土取り跡などが確認され、一部標識が立てられている。
昭和六十一年(1986年)3月25日に「鬼城山(きのじょうざん)」として国の史跡に指定された。
現在は総社市教育委員会が平成十三年(2001年)より史跡整備を行っている。特に西門遺構は建造物・土塁・石垣の復元が行われた。平成十八年(2006年)からは、岡山県教育委員会による七か年計画の城内確認調査も開始された。
【歴史】 663年(天智天皇二年)の白村江(はくすきのえ)の戦いに倭国が敗れた後、唐・新羅の侵攻に備え築城したと考えられている。
『日本書紀』などには西日本の要所に大野城など十二の古代山城を築いたと記されており、鬼ノ城も防衛施設の一つであろうと推測されが、どの歴史書の類にも一切記されていないなど、その真相は未だに解明されていない謎の山城である。
古代山城(十二城)に該当しないものは、神籠石(こうごいし)式山城と呼ばれる(16城発見されている)。
山中に石垣などの遺構が存在することは古くから知られていたが、昭和四十六年(1971年)、に城壁の基礎となる列石が見つかり、古代山城と確認された。