笠城山城 (かさぎやまじょう)
最寄地 広島県三次市糸井町61 2021.6.8
笠城山城 (かさぎやまじょう)
最寄地 広島県三次市糸井町61 2021.6.8
登城ルート
胡子神社鳥居
登り口・ゲート
主郭東の石積み
主郭南東側
西尾根の堀切
2重堀切
次の堀切
笠城山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高110m】
【感想】 美波羅川左岸の標高約314mの尾根先端部に築かれている。
主郭は広く南東側が一段低くなっており、Ⅼ形に西側が高くなっている。
虎口東にやや傾斜した広い郭や石積みが見られ、主郭西に深い堀切と2重堀切があり、少し離れてもう1条の堀切がよく残っている。
【案内】 国道375線と県道430号線の交差点横に案内標識があり(地図)、酒店南に胡子神社鳥居がある[マップコード267 242 403*72]。石段南に駐車できる。
胡子神社西から舗装された道があり無線塔右に通じておりそこにゲートがあり、登り口の小さな標識が立っている(民家(表記番地)の蛇腹の引き戸があるが、公道の様だ)。
墓地を通って、城跡南東側を登る。ピンクのマーキングやロープが張られ迷うことはない。
【歴史】 『日本城郭大系』によると戦国時代、笠城山城主・糸井氏は旗返山城主・江田氏の勢力下にあった。
天文二十年(1551年)大寧寺の変で大内義隆が陶晴賢(すえはるかた)によって討たれると、旗返山城主・江田隆連は大内氏から尼子氏へ寝返り、天文二十二年(1553年)毛利元就により攻められ、滅亡した。
この時、糸井氏も運命を共にし、笠城山城は黒岩城主・和泉三郎五郎信行に与えられた。