敏満寺城 (びんまんじじょう) (敏満寺遺跡)
所在地 滋賀県犬上郡多賀町敏満寺66−36 2016.12.23
敏満寺城 (びんまんじじょう) (敏満寺遺跡)
所在地 滋賀県犬上郡多賀町敏満寺66−36 2016.12.23
説明板
多賀SA下りの 宿泊施設南側
多賀SA上り 喫煙所横の説明案内板
ぷらざ多賀の湖・左に櫓台
空堀(通路の右)
敏満寺城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 】
【感想】 高速道路建設で大半は消滅したが、両端の遺跡が公園として整備されている。いつも何気なく通り過ぎていたが、休憩がてら散策するとよい。
【案内】 名神高速道路上り「多賀SA」北側の喫煙所横に案内板があり、ガソリンスタンド手前に「ぷらざ多賀の湖」公園となっている。
ドッグラン施設が設けられ四阿が建てられ、土塁や曲輪、櫓台、空堀の遺構を思わせる起伏が見られる。
多賀SAは上りと下りを連絡する歩道橋があり、名神高速道路下り「多賀SA」の宿泊施設「レストイン多賀」南に「敏満寺遺跡」の説明板が建てられている(地図)。発掘調査の跡は埋められている。
【歴史】 伊吹山寺の開基に携わった三修上人の弟子敏満童子により開基されたと考えられている。青龍山(333m)を御神体として12~15世紀頃に繫栄した寺院の遺跡で、往時は比叡山を凌ぐともいわれる僧兵を要する勢力を持った。
戦国時代の永禄五年(1562年)小谷城主・浅井長政の攻撃を受けた久徳氏に味方した為、長政に攻められ120以上あったという坊はほとんど炎上した。
更に元亀三年(1572年)織田信長の命に応じなかったため、残りの坊を焼かれ、寺領を没収された。その後再建されることはなかった。
慶長年間には、残った礎石も彦根城普請のため運び去られた。
昭和六十一年(1986年)5月から昭和六十二年3月、発掘調査が行われた。