松牟礼城 (まつむれじょう)
所在地 大分県竹田市直入町大字下田北 2019.3.4
松牟礼城 (まつむれじょう)
所在地 大分県竹田市直入町大字下田北 2019.3.4
登城ルート(緑線は車道)
林道に駐車・右へ歩く
堀切・標識
南側の段郭
主郭の城趾碑
北側下段の郭
松牟礼城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m(林道入口より)】
【感想】 竹田市直入町大字下田北にある標高659.3mの三笈山山頂に築かれている。
南側尾根に堀切があり、主郭には立派な城趾碑が建てられ、西側に2段の郭が残っている。
【案内】 南東側にある高域農道から林道が始まり「松牟礼城跡入口・約2.4km」の看板が建てられている(地図)[マップコード237 752 375*21]。
途中から未舗装となるが、車で城跡入口まで通行できる(地図)[マップコード237 781 035*80]。
北東に約300m歩くと、堀切を経て主郭に着く。要所要所に標識があり迷う事はない。
【歴史】 嘉禎二年(1236年)、大友氏初代大友能直の子親秀の七男親泰が田北村を譲り受けて入部し田北氏を称し、築城したと云われる。
天正六年(1578年)大友氏と島津氏が戦った耳川合戦で田北鑑重(紹鉄)の弟・鎮周は討死した。
天正八年(1580年)田北鑑重は謀反の疑いによって討ち取られ、田北家の嫡流は断絶した。吉広統幸の弟・統員に田北氏の家督を継がせ再興した。
天正十四年(1586年)薩摩の島津氏が松牟礼城に攻め寄せたとき、城主の田北統員(むねかず)は豊前龍王城に居り、家臣の守る松牟礼城は落城した。