壺笠山城 (つぼかさやまじょう)
所在地 滋賀県大津市坂本本町 2016.12.24
壺笠山城 (つぼかさやまじょう)
所在地 滋賀県大津市坂本本町 2016.12.24
登城ルート(緑マークは青山城)
林道分岐を登る
登り口
堀切を左へ
壺笠山標識
主郭
南西側石垣
壺笠山城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高240m】
【感想】 琵琶湖西岸の標高421mの壺笠山に築かれている。西尾根に堀切があり、帯郭を伴った主郭がある。墓地先の車止めより林道を延々と登って行ったが、登り口の標識など無く、引き返していたら壺笠山城に向かう方に会い、同行させてもらった。
登り口には、赤いテープの枝があるのみで、10mほど直登し反時計に回って登ると、踏み跡があった。
周囲に帯郭のあるお供え餅のような主郭は、昔、古墳であると地元の人に教えられた。
【案内】 県道47号線の(大津市坂本1-2-27)より墓地北の細い道を行き、墓地の外れに駐車スペースがある[マップコード7 808 565*20]。
車止めより徒歩で約1.3km林道を西へ行くと「第二号橋」がある。更に約300m行った左に林道の分岐がある(地図)。150mほど東に登ると鞍部に出、Y字に林道が分かれている。
その右の20m先の赤いテープ付近より取り付き(地図)、右手に10mほど登ると、遊歩道が見えてくる。堀底道を登り、土橋のような尾根に出、左に尾根を登ってゆくと、帯郭に出る。帯郭を左に回り込むと、石段のわずかに残る虎口がある。
鞍部より比高約70m標高421mの壺笠山頂上の主郭は30mほどの円形の曲輪で杉林となっている。「壺笠山」標識が木に括られ、南西側に石積みがわずかに残っている。鞍部を挟んで北に比高40mの青山城がある。
【歴史】 元亀元年(1570年)、朝倉義景と浅井長政の連合軍は本願寺と結んで織田信長の家臣森可成が守る宇佐山城を攻めた。その際、浅井・朝倉氏によって築かれた陣城とされる。
浅井・朝倉勢は、延暦寺から支援を受け、壺笠山・はちが峰・青山に布陣した。信長軍と浅井・朝倉勢両軍とも膠着状態となり4ヶ月後和睦し、浅井・朝倉勢は湖北へと撤退した。