恵良城 (えりょうじょう)
最寄地 愛媛県松山市上難波903 2020.2.6
恵良城 (えりょうじょう)
最寄地 愛媛県松山市上難波903 2020.2.6
登城ルート(緑線は車道)
南側遠景
駐車場と参道登り口
2郭・通夜堂
惠良神社・石垣
主郭東側
恵良城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高140m(駐車場より)】
【感想】 松山市上難波の標高302.1mの惠良山に築かれている。惠良山は円錐型の山容で周辺から一際目立っている。
岩場の主郭は険しく、太い鎖が設けられており、惠良神社が祀られている。
2郭は東西に広く通夜堂(拝殿)が建てられている。その南下段に、帯曲輪があり石垣が残っている。また、貯水井戸があるようだが分からなかった。
【案内】 県道339号線より最明寺南の分岐を通って[マップコード53 830 654*00]、中腹まで狭いが舗装道が通じている[マップコード53 861 392*01]。すれ違いは困難だが、普通車1台が通れる幅がある。
駐車場は4,5台止められ、説明板が建てられている(地図)。鳥居をくぐって北へ九十九折れの参道が設けられている。
岩場を利用した主郭に惠良神社が祀られ、東に平坦地、西側下段に東西に広い2郭があり、拝殿が建てられている。
昭和五十二年(1977年)4月15日、愛媛県の史跡に指定された。
【歴史】 天暦二年(948年)河野親経により築かれたといわれる。
養和元年(1181年)源氏方に味方し高縄山城で河野通清が挙兵すると、備後国の奴可入道西寂が大軍が来攻し、通清は日高城・高穴城・恵良城を守らせて防戦したが、落城した。
天正十三年(1585年)豊臣秀吉の四国征伐で河野氏が滅亡すると、来島康親の居城となった。
しかし、関ヶ原合戦で来島氏は西軍に属して豊後国森藩角牟礼城へ移封となり、廃城となった。