窪川城 (くぼかわじょう) (茂串城)
最寄地 高知県高岡郡四万十町茂串町3−13 2020.12.11
窪川城 (くぼかわじょう) (茂串城)
最寄地 高知県高岡郡四万十町茂串町3−13 2020.12.11
登城ルート
小社より左へ
東の郭・土塁
主郭東の空堀
主郭・土塁
南西の堀切
南西の畝状竪堀
窪川城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高150m】
【感想】 四万十川左岸の岩本寺の背後にある標高372mの山頂に築かれている。
主郭に土塁が見られ東側に空堀、土塁のある東郭、東尾根の2条の堀切がよく残っている。
一方主郭の南西斜面に畝状竪堀や堀切が良好に残っている。
【案内】 37番札所岩本寺(表記番地)の駐車場を利用した[マップコード362 136 552*87]。
岩本寺の西側に熊野神社への入口があり、茂串城の説明板が建てられている。「土佐くろしお鉄道中村線」を潜り熊野神社右の小社から南に行くと、山道があり東側の沢を渡って、東尾根を登る。所々にピンクのマーキングがあり、2条の堀切東に出る(地図)。
堀切より西に行くと間もなく城塁が見え、細長く広い東の郭があり、北側に土塁があり、多数の仏像が祀られている。
西に空堀を挟んで広い主郭があり西側に土塁が残っている。その西下段にも広い郭があり主郭の南西に回ると、堀切や畝状竪堀がある。
【歴史】 明応九年(1500年)相模国鎌倉から山内備後守宣澄が移住し、窪川氏を名乗り、茂串山に築城したという。
その後、充秋、宣秋と3代続き、その間津野氏、中村一条氏、長宗我部氏に仕えた。
長宗我部元親の時代、宣秋とその弟・七郎左衛門は元親の命で朝鮮の役(文禄)に参戦し戦死し、窪川氏は断絶した。
元親は家来に約30名の武士を付けて茂串城を守らせたが、慶長五年(1600年)長宗我部氏の改易により、長宗我部氏の滅亡と共に廃城になった。