本篠城 (もとしのじょう) (市の史跡)
最寄地 香川県三豊市財田町財田中3107 2017.9.23
本篠城 (もとしのじょう) (市の史跡)
最寄地 香川県三豊市財田町財田中3107 2017.9.23
登城ルート(緑線は車道)
伯母渕・竜王神社碑 この20m先を右へ
本篠城址碑・この左から登る
説明板
最初の堀切
2番目の堀切
主郭・土塁
本篠城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高80m】
【感想】 三豊市財田町の南から伸びる標高202.8mの山頂にあり、北西の道路から見ると険しい特徴的な山容が望める。
堀切、主郭の切岸、土塁が残り、東側に階段状の帯郭が残っている。
【案内】 広域農道に「←本篠城址」の標識があり、そこから西へ行き、次の標識に従って南へ行った表記番地東から林道となり、300mほど行くと「伯母渕」、「竜王神社」があり、その向い側に駐車できる[マップコード77 079 049*15](地図)。
ガードレールの橋のすぐ先より、右(西)へ曲がり80mほど行くと、「本篠城址」の石碑と説明板が建てられている。
石碑左より踏み跡をたどり南へ尾根を登ってゆくと最初の堀切がある。さらに登ると堀切があり、間もなく主郭に着く。
主郭は25m×8mと南北に細長く、南に腰郭、東に4段の帯郭が残っている。
平成元年(1989年)4月1日、財田町(合併前)の史跡に指定された。
【歴史】 南北朝時代、延元二年(1337年)南朝方の財田左兵衛頭義宗が北朝軍と戦った。
戦国時代、天正六年(1578年)香川氏に属していた財田和泉守常久は長宗我部の軍に攻められ、天霧城の香川信景に援軍を頼むも、援軍は来ず、遂に討死した。