才津城 (さいつじょう) (金浜城・佐伊津城)
所在地 熊本県天草市佐伊津町5910 2015.5.7
才津城 (さいつじょう) (金浜城・佐伊津城)
所在地 熊本県天草市佐伊津町5910 2015.5.7
石垣説明板
本丸南側高石垣
本丸の神風特攻隊慰霊碑・団地
神風特攻隊慰霊碑
本丸北側
才津城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆】
【案内・感想】 国道324号線「金ケ丘交差点」の一つ南の交差点より行った、6棟からなる市営住宅(表記番地)敷地が才津城跡である。
三叉路の南側の細い道を東に約50m行くと、高石垣が唯一の遺構として残っている[マップコード254 578 247*14](地図)。
石垣は高さ5m長さ約15mで関ヶ原の戦いの後、天草を治めた唐津藩主寺澤氏によって築かれた可能性が高い。同様の石垣を備えたものとして、苓北町の冨岡城跡や久玉町の久玉城跡が知られている。
団地の北側に16名の神風特攻隊慰霊碑)が建てられている。その北は崖となっている。
【歴史】 鎌倉時代に志岐氏の一族志岐三郎安弘の居城であったと云う。
江戸時代唐津藩士並河太左衛門の覚書には、天草には冨岡城など6城在ったことが記され、金浜城も「斉津城」と記されている。
また慶長肥後国絵図には「佐伊津城」に天守閣が描かれている。金浜城は石垣と天守を備えた堅固な城であったことが想像される。