滝谷城 (たきたにじょう)
最寄地 岡山県高梁市宇治町本郷553 2021.12.9
滝谷城 (たきたにじょう)
最寄地 岡山県高梁市宇治町本郷553 2021.12.9
登城ルート
県道から少し降りて尾根に登る
2郭東側の堀切
2郭
主郭・社
主郭西側の腰郭
滝谷城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高130m】
【感想】 白毛ヶ城の西に相対する 、標高482mの山頂に主郭が築かれており、社が祀られているが放置されているようだ。北側に帯郭、西側下段に腰郭が見られる。
東側100mの山頂に2郭、その東に浅い堀切が残っている。
【案内】 県道85号線の表記番地南に林道があり、そこに駐車した[マップコード236 313 140*40]。
県道85号線の表記番地北50m付近(地図)から笹を分け入り少し登ると杉林となり、尾根を目指すと堀道が現れ、西に登ってゆく。堀道は消えるが、とにかく尾根を西に行く。
灌木が多くなり夏場は苦労するかもしれないが、主郭150m手前に浅い堀切があり、100m手前に三角形の2郭がある。
一旦下って再度登ると虎口があり主郭には社が建てられている。
北側に帯郭、西側下段に腰郭が設けられ、その西側は急な崖であった。
【歴史】 赤木忠長は承久の乱の際に鎌倉幕府につき、その功によって当地を賜り、滝谷城を築いたといわれる。
戦国時代には備中松山城主・三村氏方であった赤木忠国が城主であった。その後忠房が城主となった。
天正二年(1574年)冬から翌、天正三年夏にかけて起きた備中兵乱の際、赤木忠房の嫡男忠直は笹尾城近藤掃部介を攻めている。