多度津城 (たどつじょう) (本台山城)(もとだいやまじょう)
最寄地 香川県仲多度郡多度津町本通3丁目1−48 2017.9.23 2017.12.13
多度津城 (たどつじょう) (本台山城)(もとだいやまじょう)
最寄地 香川県仲多度郡多度津町本通3丁目1−48 2017.9.23 2017.12.13
桃陵公園駐車場
堀跡の橋・右が本丸
本丸跡・メロディ時計
メロディ時計広場北側
多度津城跡(地図)
【遺構★★☆☆☆ 比高50m】
【感想】 石段、石垣が残っているというので探したが中々見つからず、桃陵公園の最高所の写真を撮ってきた。
2段になった平坦地や帯郭があり、それらしい雰囲気はあるが、どうも納得できない。
2回目の訪問で、メロディ時計のある広場に行ってみた。広場の西側は堀跡の道があり、橋が架けられている。北東から南東の石垣は切岸を思わせ、本丸跡の雰囲気を感じさせてくれた。
【案内】 「少林寺」(表記番地)先の向い側に桃陵公園駐車場が用意されている[マップコード77 644 748*25]。
東端のメロディ時計のある広場が本丸で、西側の最高所(本台山)は物見と思われる(地図) 。
【歴史】 貞治三年・正平十九年(1364年)、讃岐守護細川頼之に従って相模より入部してきた香川景則によって築かれたと云われる。
その後守護代となった香川景則が築いた天霧城が有事の際の詰城として使われていたのに対し、平時の居館として使われていた。
天正六年(1578年)、長宗我部元親の讃岐侵攻の際、香川信景は元親の次男親和を養子に迎え、親和に家督を譲り長宗我部氏に従った。
天正十三年(1585年)、豊臣秀吉の四国征伐に伴い、香川氏は改易となり、本台山城も廃城となった。