片脇城 (かたわきじょう)
最寄地 福岡県宗像市田島1472 2020.9.26
片脇城 (かたわきじょう)
最寄地 福岡県宗像市田島1472 2020.9.26
登城ルート
秋葉神社参道入口
出城・秋葉神社(文政十二年)
堀切
主郭・看板
主郭東側下段の郭
片脇城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高100m】
【感想】 蔦ヶ嶽城の西約7.5kmに位置し、釣川左岸の標高104.5mの片脇山に築かれている。
出城は東側に段郭を備え、背後は幅広の堀切と思われるが、草茫々で形状は撮影できなかった。
主郭と北郭の間の堀切はよく残っている。主郭も鬱蒼としており三角点がやっと確認できた。
城域は広く、標識もなくおまけに竹林で鬱蒼としており、移動に苦労した。
【案内】 興聖寺(表記番地)の駐車場が利用できる[マップコード68 542 542*78]。
南に少し行くと秋葉神社への道があり、墓地の外れに「色定法師入定之地」がある。
そのまま南へ行き、右に階段がありそこを登って行くと、出城(秋葉山城)に着き、出城には秋葉神社が祀られている。
その先の崖を降り、草地をやや右方向に行く。竹林の中に尾根切岸があり、そこから尾根伝いに登って行く。北郭があり堀切が2条ほど見られ南の最高所に主郭があり、片脇山の手作り看板と三角点が設置されている。
【歴史】 初代宗像大宮司清氏(914~38年)が築城し、以後代々宗像大宮司の居城となった。
11世紀代に蔦ヶ嶽城を築き居城とし、文治二年(1186年)頃、白山城を築いた。
永禄三年(1560年)蔦ヶ嶽城を修築し再度居城としている。
以上の経緯を踏まえると、片脇城は平安時代後期の宗像大宮司の居城であったが、その後大宮司の一族が居城とし、現在の遺構は戦国時代のもので、3城が連携して使用されたと考えられる。