勝山城 (かつやまじょう)
所在地 広島県廿日市市宮島町 2021.6.7
勝山城 (かつやまじょう)
所在地 広島県廿日市市宮島町 2021.6.7
あせび歩道入口
多宝塔
四阿・城跡碑(右側)
城跡碑
勝山城跡(地図)
【遺構★☆☆☆☆ 比高20m】
【感想】 厳島神社を北東に望む半島状尾根にあり、遺構はないが先端に多宝塔が建てられている。
【案内】 宮島桟橋より1km余歩いた「厳島宝物館」の西に「あせび歩道」の階段がある(地図)。
そこから多宝塔に登り南の四阿右に城跡碑が建てられている。
【歴史】 大永四年(1524年)頃、大内義興によって築かれたと云われる。
天文二十四年(1555年)宮尾城の毛利元就勢を攻めるため、陶晴賢(すえはるかた)は勝山城に本陣を構えた。その後、本陣をより宮尾城に近い塔ノ岡へと移した。
同年九月三十日、毛利元就は三千五百の兵と共に、折からの暴風雨と夜陰に乗じて包ヶ浦に上陸、翌十月一日早朝塔の岡にある陶軍の本陣を急襲した。
これに加え大鳥居側の海から元就の3男小早川隆景の軍と、宮尾城の兵が呼応し厳島神社周辺で激戦となり、不意を突かれた陶軍は壊滅した。
晴賢は僅かな兵と共に島の西部へ敗走するが、なすすべなく山中で自刃した(厳島合戦)。