和田山城 (わだやまじょう)
所在地 滋賀県東近江市五個荘和田町 2017.1.13
和田山城 (わだやまじょう)
所在地 滋賀県東近江市五個荘和田町 2017.1.13
登城ルート
和田公会堂・登り口(右)
上段の社と城跡碑
土橋と空堀
主郭・土塁
北の曲輪
和田山城跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 比高70m】
【感想】 住宅地の間の道は狭く、和田公会堂の入口はチェーンがしてあり、やっと手前のお堂の前に駐車出来た。
比高約70mの和田山頂上にあり、空堀の中央に土橋がある。放置された状態で、草木が多い。
【案内】 県道52号線より北に行った「お堂」の前に駐車スペースがある[マップコード101 008 216*26](地図)。
南麓の和田神社より右に階段を上ると、社があり、燈籠の横に「和田山城趾」の碑が建てられている。
右手の藪の径を登り、尾根に出てすぐ右へ入ると(木にテープが付いている)、土塁が見える。土塁、空堀、土橋が残り、櫓台と思われる最高所に三角点がある。
【歴史】 六角政頼の三男和泉守高成が築城し、和田氏を称したとも、六角義賢の子義弼(義治)が築城したともいわれる。
永禄十一年(1568年)、織田信長が足利義昭を奉じて上洛すると、六角義賢・義治父子は、これに抵抗し、居城である観音寺城や支城に兵を配置した。 和田山城は、田中治部大夫以下6千人が守ったといわれる。
織田信長は和田山へは抑えの兵を置いただけで、主力を観音寺城の向かいの箕作城へ差し向け、一日で落とした。
これを知った和田山城の将兵は、戦わずして城を捨てて逃げ、観音寺城の六角父子も甲賀へと逃げた。
和田山城はそのまま廃城となったものと思われる。