佐治城 (さじじょう)
最寄地 滋賀県甲賀市甲賀町小佐治3557 2017.2.3
佐治城 (さじじょう)
最寄地 滋賀県甲賀市甲賀町小佐治3557 2017.2.3
登城ルート
桝形池・説明板
説明板
土塁・フエンス扉
土橋・空堀
空堀
主郭・愛宕山
佐治城 主郭跡(地図)
【遺構★★★☆☆ 】
【感想】 竹林となった愛宕山の主郭を中心に南西に曲輪があり、空堀・堀切・土橋がよく残っている。堀跡の舛形池が北側に残っている。
【案内】 表記番地の東100mに秋葉神社鳥居がある[マップコード 67 086 430*28](地図)。その南に堀跡の桝形池があり、説明板が建てられている。
広大な平坦地の南に獣除けフェンス扉があり、入ってゆくと空堀、土橋があり、南の愛宕山が主郭となっている。南西側に回り込むと、曲輪がある。
【歴史】 康平五年(1062年)平業国が佐治郷に転封し、佐治氏を名乗った。
南北朝の争乱では、某氏・国氏父子が武勇を挙げ、更に河内守は長享の乱で活躍した。その後、近江国守護六角氏に属し、1万4千石の武将になった。
六角氏が信長に下った後は、佐治氏は信長の配下となった。しかし、天正十一年(1583年)甲賀破議で領地の没収命令がくると、反対し籠城の末、信長の大軍に攻められ滅亡した。『甲賀町教育委員会説明板』